頭の中の片づけが苦手である

私は頭の中がいつも散らかっているような気がする。

一つのことを考えていたはずなのに、いつの間にか別のことを考えているなんてことがよくある。気が散りやすい。

原因を考えてみたけれど、よくわからなかった。

考える力が弱いのか、いろいろな事を考えすぎてて収拾がつかなくなっているのか。思いついたのはそんなところ。昔から物事を論理立てて考えるのは苦手だった。

ひとつ、思っていることは、いろいろなことを考えてしまう原因の一つとして、ACであるからなんじゃないかって思ってる。

私の場合、自己主張が苦手で相手に意見することがなかなかできない。その場合、自分の中にある言いたいことが消化されず、くすぶることになる。そうなると結構後にひきずって、しばらく言えなかったことに対する怒りとか、ぶつけられなかった相手を恨めしく思ったり、脳内で啖呵を切るように言う妄想をしたりと非常に忙しい。

だから注意力も散漫になるしほかのことをじっくり考えることができない。

この状態があらゆる場面で起こっていて、特に大きなこと、Yにさみしさをつたえられないことなんかは一日に一回はうじうじっと考えや妄想を繰り広げてる。

外に発散できずに飲み込んでしまったものが、消化不良を起こして頭の働きを鈍くしてしまっているのかもしれない。食べ過ぎで胃がもたれてしまうみたいに。

そう考えると、その場でパッと伝えてしまうことの重要さを実感する。

言わないと今の環境が続くから、変化を恐れる私はどうしてもそちらを選んでしまう。あと、愛される私が想像できなくて、愛を求める自分をみっともない的外れなことをしている人間だって思っちゃうんだよなあ。

その二つが大きなブレーキになって外に出せない感情が山ほどある。それが増えすぎてしまっているのかもしれない。

少しずつ、言いたいことを言えるよう努力している。

ACだって気づいてなかった頃は病気で臥せっている状態で、それが長く続いて心が蝕まれ、ずっと寝たきりだったというようなイメージを私は持っている。

ACを自覚し、少しずつ変えようと思ったころから病気が回復し歩けるようになった。今の私はきっとこのあたり。そんな病み上がりの状態でいきなり山登るだとかマラソン走るなんて無茶なことできるはずもなく、少しずつ散歩したりしながら鳴らしていくしかない。

だから、いきなり自分をさらけ出すことはできない。Yにさみしいからもっと会いたいよっていうのも、まだどうしても口にできなくて、それは私にとってマラソンなんだと思う。だから、言えなくてもダメだって思わない。少しずつ表現できるようになっていけるって信じて、ゆっくり自分の成長を見守っていきたい。

そうして自分の気持ちを表現していくことによって、頭の中もすっきり整理されていけばいいなあ。

定期的に来る鬱期

昨日Yに会って、落ち込んでしまった。

というのも、Yは自由奔放な人で自分のやりたいことをやって人生を謳歌しているような人。だから、自分の時間が大切で、私は割と後回しになっている。

来週の3連休も5連休にして旅行してくるって言われて、ああ、この人は私との時間を作ろうとは思わないのかな、って思って、それがすごく悲しかった。なんか、どうして付き合ってるんだろって思った。でもそれが言えない意気地なしな私。笑顔でそうなんだ、って聞いてる偽善者な私が一番いやだ。。。

こういう時、どうしようもなくさみしくなって、どうして私の人生ってさみしいんだろうって落ち込む。人とのつながりが薄い。家族との繋がりがまず薄くて、だから健全な人間関係気づけなくて友達も多くない。表面的な付き合いが多い。それですごくさみしくて、愛されたい愛されたいってみっともなく他人にものほしそうな態度とったり、幸せそうな人を僻んだり……。

ああ、嫌だ。

ってマイナスの感情に支配される。

こういう時は、誰だって私と同じ境遇に立ったら同じように悩むものだよって自分に言い聞かせてる。

私は持って生まれた運が悪くて、今すごく苦労してる。だけど、このまま悩んでても好転しないから、歯を食いしばって頑張るしかないんだよね。その分強くなれるはずだから、頑張ろうって自分に言い聞かせる。

人生楽しんだもん勝ち。これに尽きるよ。

自分を大切にして、自分を大切してよ!って言えばいい。それでも大切にしてくれないならそれは自分に必要じゃない人なんだって思って別れればいい。

だから、前を向いて進み続けることが大切。

頑張れ、自分!

2017年

今年は、変化の1年にしようと思っています!

そんなわけで、2017年に入り、まず一人暮らしを始めました(・∀・)

今まで家から出たほうがいいと思いつつも決断ができずにいたのですが、ついに脱出!まあ、祖母が借りてて住んでないアパートに住むっていう、半一人暮らしなんですけど。それでも環境の変化の恩恵は大きいです!!

住み始めて1か月半経って、ああ、気楽だなあって心から思います。

家にいて嫌な思いすることがないってすごく幸せ。嫌いな人がいなくて、その人とぎくしゃくしないってなんて気分がいいんだろうって思う。今まで父が嫌いで苦手で、はち会わないように神経とがらせてて、家では嫌なことにばっかり気を注いでいました。父が見てるテレビの音を聞くことすら不快だったので、同じ屋根の下に住んでて、いかに父を排除するかが重要ミッションだった。あんな狭い家に住んでたら到底無理な話なのに(笑)

母も父のこと心底嫌ってるから同じような態度だし、それを見ているのもしんどかったなあと今つくづく思ってます。

嫌な環境に居続けるって本当に心の健康に良くないですね。それに慣れてしまうと気づかないんですけど、すごく毒されてる。自然とネガティブなことに目が行くようになるし、他人の幸せを喜べない。人の不幸に関心を持つようになってしまう。毎日毎日毒を飲んでいるようなものだから、心が衰弱していく。弱っていくと、今の環境を変える元気がなくなるし、楽しいことに目が向けられない。それってすごく気力が必要だから。そしてますます人生がつまらなくなっていく恐ろしいループにはまっていく。

物事をプラスにとらえるためには、普段の環境を整えることがすごく大切なんだなあって思い知らされました。

 

実家では見事に毒を飲み続けていた私。

そのせいで、今まで、一人暮らしをすることをなかなか踏み切れなかった。

誰かに反対されたとかお金が全くないってわけじゃないのに、ああだこうだと理由をつけてできない、って思うことが多くて、自分で自分をがんじがらめに縛って動けなくしてるんだなあと今になって思います。改めて私がためらってることのほとんどがそんな感じであることにびっくりして、それってすごくもったいないなあって思った。できるのに、やってもいいのに、自分でそれはよくない、きっとだめだ、こっちはどうするの、って反対して、今の環境から抜け出せなくしていた!

抜け出したいって思ってるのに、自分から抜け出さないようにしているなんて不思議ですよね。

けど、毒を飲み続けた副作用なんだと思います。

だから、嫌な環境からは頑張って抜け出すことが大切だと、本当に思います。

もう実家には住みたくないなあ。

祖母のアパートに住めなくなったら、一人暮らししないと。

それまでにYと結婚できたらベストなんだけど(・∀・)(笑)

1年越しの日記(笑)~2016年を振り返る~

随分と久しぶりの日記になってしまいました(゚A゚;)

ほぼ1年ぶりに投稿する(笑)3日坊主という言葉があるけれど、3日すら続かない自分の継続力のなさにびっくりした(笑)

一時期小説書いてたから、文章を書くのが好きだと思ってたけど、筆まめではないのかもしれないなあ。筆まめだと自分では思ってたのに(笑)

自分で認識している自分像と実際の自分との乖離に気づいた!2016年は、改めて思い返してみると本当の自分を知れた1年だったんじゃないかなあと思う。特に後半そんな感じ!

ACだったことにも気づいてなかった20代前半は、こうでありたい理想像と自分を重ね合わせて、さもそういう人であるかのようにふるまってました。例えば、悩みなんかない天真爛漫な明るい私、礼儀正しく誰にでも気に入られる私、友達の多い私、家族の問題なんかまるで抱えていない私、私もそれが好き!(人がいいって言ったもの。一人になった時にはそれを嗜むことはない)あなたと趣味が合う私等々・・・今まで自分の気持ちをごまかすことばっかりして生きてきたから、実際の自分を見つめることもなく、人に好かれるための”自分像”を作り上げるために行動していました。

例えば、大学の時は”リア充な私”いいじゃんって思ってて、リア充系運動部に入る。そこでリア充のノリに無理やりついていこうとし、過去のオタク人生をひた隠しにしてリア充ぶる。今考えると、私はオタク気質というか、2chのコピペ好きだったり、遊戯王MAD好きだったり、面白いと思うものがオタクの人とのほうが共有できる。なのに、無理にリア充に合わせようとするから、私が心から面白いものを共有できない。

私がなんだか生きづらいなあと思ってたのは、周りとのこういうギャップというか、自分の居心地のいい世界が見えていなくて、合わない水の中で他人に合わせようと無理やり頑張ってから回っていたからなんだなあということに気づきました。

この発見はなかなか良い変化だなあと思う(・∀・)

これはY(彼氏のことをこれからそう呼ぶ)と付き合っている中で、Yを見ててそう思ったのが大きいかなあ。

Yと付き合っててさみしい思いもいっぱいしてるけど、それも自分を変える大きなきっかけになってるから、結果論としては別れずに向き合おうと努力してきてよかったんじゃないかなあと、2017年を迎えた私は思ってます。昔の私よ(笑)

恋愛面も進歩して、今は、少しずつだけど自分から誘ったり、気持ちを伝えたりできるようになってきてるから。今まではそれが怖くてできなくて、会いたいなんてとても言えないって思ってたもんね。過去の私に言ったらびっくりすると思うけど、この間なんと自分から泊まっていい?って聞けた!!

今まで言い出せなかったもん。Yが言ってくれないかなーってずっと待ってたもんね|д゚)

クリスマスの日程に不満があったから、それに対しても怒ってる気持ちも出せたし。私的には快挙ですよ!!

どうしてそんなに自分を出すのがこわいのかなあ、と前から疑問に思っていて、断られるのが怖いからかな?って分析してみたけど、それだけじゃない気がずっとしてて。なにかの本を読んでて「そんな自分を自分が許せない」っていうような言葉を見てハッとした。これだ!って。きっと、私は甘える自分を自分が許せなかったんだろうなあっていうのがすとんと胸に落ちてきた。

どうして許せないのか、その理由がまだはっきりと見えてこないのですけれど…。

ACに気づいて、本当の自分に気づいて、試行錯誤していくと、面白いことに様々なきっかけが起こって自分の新たな面に気づくことになる。その一つ一つが、昔なくしたパズルのピースを見つけるみたいな感覚で、見つけてはひとつひとつはめてっている感じです。なんかクサくてポエムっぽいけど感覚としてはそんな感じ。もともとあったものに気づかずにを理想の自分像ばかりみて気づかなかったものを見つける。よくよく思い返すと、ああ、これ好きだったなあ、とか、私ってこっちのほうがいいよなあって。

 

これからは、私という個性を大切に、自分が何が好きでどんな時に何を思うのかをきちんと大切にしていきたい。

久しぶりの近状

ずいぶん久しぶりの日記になってしまった。

年が明けてから仕事がかつてないほど忙しくなっていった。やることが多すぎて所属の係内で仕事が飽和している状態。それでも仕事は進めないといけないから、突貫工事のように3人で夜遅くまで残業して進めてきた3か月だった。

特に3月終わりから昨日までが本当にしんどくて、休日返上で働きづめの日々だった。さすがに精神的にも肉体的にも堪えてくる。けど、その中にもやり応えというか、自分がどこまでやれるのかを見極めるわくわくした気持ちがあった。失敗してもうやりたくない!とくさくさする気持ちになる時もあったけれど、私は案外けろりとしている達のようで30分もすれば気持ちは薄れている。

落ち込んだりやる気になったりを繰り返しながら、昨日ようやく給料が終わった。周りに振り回され何回か処理がやり直しになったときは泣きそうになったけれど、忙しくなればなるほど決断力が高まっていくのを肌で感じていた。

私は自分に自信がないせいで決断するのに時間がかかる。また、あまり深く考えてから物事を進める習慣がついていなくて、失敗しやすいこともあって決断するのが怖いんだろう。電話一本かけるのすら、相手に呆れられたら、相手に訝しがられたらと考えて躊躇してしまう。また、嫌なことは後回しにしてあとで割を食うことも少なくない。

直さねばとは思うけど、今まで培ってきた人間性はそう簡単には治らない。

だけど、忙しいとそのためらう気持ちよりも、仕事を遂行することが最優先になっていて、ブレーキがかからずスムーズに進んでいく感覚を覚えた。

火事場の馬鹿力というのはこういうものなのだろうか。

とにかく、今まで常につきまとっていたためらいが取り払われて、ただ仕事をつつがなく進めるための最善策をてきぱきと進めていく感覚は小気味良かった。

忙しいのに残業代ももらえない過酷な1ヵ月だったけれど、結構大きなものを得ることができた。

突貫工事だからこれから失敗が露わになってくると思うけれど、これが今の私ができる精一杯だったから、臆することはない。

この仕事を一人でこなした私は頑張ったし、自分の仕事に対しての責任感も結構持っていることを実感できた。それを知れたのも大きな収穫だった。

いいことも嫌なことも日々成長の糧になる。

以前読んだ本にあったけれど、人生は山と谷がやってくるものであり、来る谷を浅くするためには山の時期にどんな行動をとるかにかかっている。

慢心せず、深く物事を考えて自分を幸せにできるようにしていきたい。

仕事も、自己実現も恋愛も、やっぱりすべてある程度満たされないと満足できない。

最近色々気づくことが多いから、少しずつは変わってきているんだろう。今後もこのまま成長していけるように努めようと思う。

2016年の抱負 1

早いものでもう2016年です。

年末年始のお休みで、昨年を振り返り、来年の目標を立てようとしていたけれども、あまり頭が働かないままだらだらしていたら終わってしまった。

仕事始めだった今日ようやくやる気スイッチが入ったので、少し遅くなったけど一年の振り返りと今年の抱負を考えて行こうと思う。

①自己肯定感について

・昨年の今頃は、彼をデートに誘うことがすごくプレッシャーになっていた。

→今も多少のプレッシャーは感じるけど前よりは気軽に誘えるようになった。

 ただ、まだどこかで彼を喜ばせることができるようなデートプランを考えなくてはいけないという強迫的な思いがある。それが出来ないなら誘うなと。

 付き合ってるんだから、誘う動機なんて「会いたい」だけでもいいと思うから、今年は私が会いたいから会おうという気持ちで連絡できるようになりたい。

 それで答えてくれない相手とはそこまでの相性だっただけのこと。

 

・仕事で失敗が怖くなくなった。

→自己肯定完の強い同期と一緒に仕事をしてきて、彼が安全地帯になっていたおかけで失敗することを恐れなくなった。

 同期は失敗しても誠実に対応すれば大丈夫だと言うことを教えてくれた。

 そして、私がミスしても助けてくれたから、私は随分積極的に仕事ができた。

 本来、父親というのはこういう役目を果たすのだろうな。

 お手本であり、困ったときに逃げ込める安全な場所。私の父親では到底安全地帯にはなれない。少しさみしく思う。

 

・人間の多様性を意識するようになった。

→今までは勝ち組と負け組がいるのが世の中なのだと漠然とそう思っていたけれど、人間は色々な人がいて、幸せの形は人それぞれなんだなということをしっかり意識した。

 

②結婚について 

昨年中に結婚したい相手を見極めるなんて意気込んでいたけれど、見極められなかった。笑

今の彼は、きっといいお父さんになると思う。私にとっていい旦那さんになるのかは、まだ確信が持てていない。

このまま結婚できたらそれもいいかなとは思うけど、うちの家庭環境を話したらどう思うのか想像できない。話を聞いてると彼は幸せそうな家庭で育ってきたからびっくりするだろうなあ。いい加減言わないと彼にも悪いなとは思うけどなかなかタイミングがつかめない。

奨学金400万、両親の不仲、兄がヤンキー崩れ、身内の障害(弟が軽度知的障害、いとこが自閉症)とかなりヘビー級だから口が重い。

 

私の自己肯定完がなかなか育たないのは、身内を恥じる気持ちが強すぎるのもあると思う。そう考えると一人暮らしをした方がいいような気がする。

私が仲のいい家庭を築いていくにあたって、自分のやりたいと思うことをたくさんやってあげることが必要だと思う。うちはお金にも気持ちにも余裕のなかった家庭でそっだったから、小さいころから我慢することが多かった。言いたいことも欲しいものも言わないように我慢するのがいい子だと思い込んでいたから、今も自分の欲を叶えてあげることにためらいを感じる。金額の大きいものだったり、相手が必要なことだと、実行に移すのに時間がかかってしまう。ラインでメッセージ送るのすら一大決心が必要。

今年は思い切って一人暮らしをしてみたい。

奨学金とか貯金のことがあるから動けなくなってしまいがちだけど、自分の心を満たしてあげる過程でとても大切なことのような気がする。

そして家族と距離を取るためにも。

 

つづく

まさにサバイバー

ブログを始めてはみたもののすっかり記事を書くのが遅くなってしまった。

まあ、いつものことで、私はあまり継続力がない。それなのに、1日1記事は書けるだろうとたかをくくって目標を立てがちなので、達成できないことが多い。

 

さて、私は今現在AC克服真っ最中である。

私の家庭は両親が不仲。父親はACで、子育てに参加するよりも自分がパチンコに行きたい欲を優先させる。決断力はなく、大事なことはいつも母親に任せてそ知らぬふりをして、すべてが終わったらへらへらして表に出てくるようなタイプだ。

パチンコにはまり、自分の生命保険をこっそり解約(もしもの時家族が困るということは考えない)したお金までつぎ込むほどにのめり込んだ。挙句大きな借金をしていた時も結局後処理は母親に任せ、母親が貯金から清算したらまるで悪びれる様子がなかったそうだ。そしてそれを2度も繰り返した。

問い詰めれば私の学費がとか生活費のために借りたと言い逃れをするが、共働きで私は学費の安い県立高校に通っていて、大学の学費は奨学金で全て補てんしている。

私以外の兄弟は大学に行っていないのだから、大金を借金するほど学費はかかっていない。いい加減すぎる父親だ。

子どもは施設でも育っていくと言うのが持論らしく、遊んでもらった記憶はほぼない。

恐らく母子家庭だったからだろうけど、自分のなかに父親像がないんだろう。いつまでも満たされない欲求を抱えたままぐずっている子供のように思う。

対して母親は箱入り娘で、かなり厳しく育てられてきたのが窺える。そのせいか、自分で決断することがすごく苦手そうだ。すぐ人に頼るし、流される。理不尽な文句を言われても反論しない。不満は持つが、裏で陰口を言うことで発散させている。

あんなはちゃめちゃな父親と結婚してしまい、母はよくやっているとは思うが、父親の悪口を聞かされるのはたまったものではないし、幸せな話題を振ると不機嫌になるのは悲しい。父親に振り回されているからだろうけれど、不幸オーラが半端ではない。

そして、母親の行う教育とは、身の回りを世話してあげることらしい。

当然それも必要だけれど、心に寄り添ってくれることはあまりなかった。私が嬉しかったことを話しても、テレビから目を離さずに「そうだね」と一言、何の感情もこもらない声で言われたことが忘れられない。

夫婦ともに決断することが苦手なものだから、うちの家族はいつも物事が停滞する。

インターネットの手続きも、やるべきことをやらずに10年ほど放置し、自動的に解約扱いになっていた。その後再度手続きがなされるのに3か月ほどかかり、結局弟がしびれを切らして母親にせっついてようやく母親が手続きを行った。その間父親は勿論知らんぷり。

ネットが使えるようになったらへらへらして真っ先に使っていた。

母親は父親を嫌っていて普段から会話はない。

だから私たち子どもは、話し合うことや喧嘩をしても仲直りをするということを教えられてこなかった。波風を立たせないように行動するのが大切で、都合の悪いことは聞かない、知らないふりをしろ、見て見ぬふりをするのが一番丸く収まるんだと刷り込まれてきた。

だから今の私も、家のやり方をすっかりと踏襲してしまい、人に悪いことを言うのがとても苦手だ。自分の気持ちやお願い事を伝えるのにとてもエネルギーがいる。

まず、自分の欲求を認めるのが難しい。

彼氏にもっとかまってほしいと思う気持ちも、認めるのがすごく大変。

恐らく自分に自信がないからだろう。自己肯定完が著しく低い。自分は完璧な人間じゃないと何一つ求めることは許されないような気がしてしまう。会うのも何もかもすべては相手に決定権があって、私は選べる立場になないんだという圧力を自分にかけてしまっている。

私はにこにこして相手に都合のいい面だけ見せてただ選ばれるのを待つしか選択肢はないんだと、心の底でインナーチャイルドが言っている。

この無価値観はきっと、母親が父親に大切にされているところを見てこなかったからだろう。自分が男の人に大切にされる想像ができない。頭ではわかっていても、心から信じることができないんだ。

この刷り込みは結構厄介で、周りの人を見ているだけでは解決できそうにない。

きっと、自分を大切にしてくれる恋人ができて、その人のことを信頼できて傷が癒えていくんだろう。

今の私には、彼氏はいるけれど自由な人で、彼なりに大切にはしてくれていると思うけど傷をいやすことはできない。

むしろ自己肯定完の強さと自己実現できているところに劣等感すら感じている。

彼氏が楽しんでるところを人づてに聞くとものすごくさみしくてショックを受けてしまう。自分の好きなことをやって、友達と共有することはごくあたりまえなのに、自分がないがしろにされているような気持ちになる。

この気持ちをぶつけたら、きっと今の彼とは別れることになるんだろう。

自分の中で傷ついてしまった気持ちをいやしていけらいいんだろうけど、最近それも限界にきている気がする。

最近苦しい。

どうしたらいいのかわからなくて途方に暮れている。

今日は気持ちが荒れて上を向けないから、明日解決策を考えようと思う。

ACにとって、自覚してからが大変だ。導いてくれる人がいないから手探りでしかも丸腰で人生を歩んでいかないといけない。まさにサバイバ―。